それが益か不益かってことは(苦しくなる音楽)
すっごい好きなのだけど聴くと苦しくなる音楽、
というのがあって、それはまあ物理的に呼吸が困難になるわけではなく、
あれです、胸が苦しいという慣用句の。
その音楽がきらいなのではなく、
むしろ大好きな部類なので積極的に聴きたいのだけど、
苦しいのであまり聴きたくない。
聴き始めると没入したいのに、
入り込むとどうどうと苦しくなっていくので聴きたくない。
ねー。
そういうものはいつまでもあるのかな。
いつかは慣れるのだろうか。
いつまでも苦しいならばこれを、私は愛し続けられるのだろうか。
苦しいも含めて今なおすきなのだろうか。
無心を求めるほど無心になれない百八つのあれ。
そんなん描いたらいいかしら。
たくさんの展示のことをブログにしなくてはいけない。
HPは撤去するか、
これぞ、「ホーム」という形にしようかと思っています。
自己紹介と、Twitterと、Tumblr(ここに絵)と、blogへのリンク。良さそう。
苦しいってことは、とらわれているということなので、
それが益か不益かってことは、直接は関係がない。
苦しいので不快な思いはするけどね。
でもそれって薬草酒ロックの苦みみたいなものなのかも。
あまいあまいキラービーを支えるイェーガー・マイスター。
それが益か不益かってことは、なくなるときに判るんだろう。
この苦しさは持続性のあるものだろうか。
数年単位、一生にしたらきっと一瞬の、いつか儚くなる一過性のものだろうか。
私は一生、
この音楽を聴くと苦しい、ということを(それがどの音楽かということを)、誰にも明かさないと思う。
ただのうのうとした顔で、「××だいすき」「××かっこいい・すてき」って言うんだと思う。
物体への付随の価値は、
個人につよく依存して、
私の絵もそうなってしまえばいいね。
誰もが誰かに言えない秘め事を込めて、
(2013/6/27)