ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

『交響曲第九番ニ短調作品125・合唱つき』

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、『第九』。
 
今年も聴いて参りました!^^
去年からはじめた12月の恒例事物、オペラ(メゾソプラノ)の友人とふたり第九!^^
チケットはもう、プロにおまかせしてしまって(笑)間違いないというすてき予定。
去年も今年がたのしみだった、
今年も来年がたのしみ。
 
今年は調布・グリーンホールにて金聖響、神奈川フィル、武蔵野音大の響宴。
 
 
管弦打の生音と、人知の最高峰の音・声と、指揮者の躍動。 
もうもう、すばらしいかぎりでした…。 
クラシックはほんとうに贅沢。 
 
滝音もせせらぎも、一等星のかがやきもビッグバンも、大きな河のたゆたいも、芽吹きも開花も花吹雪も、嵐の夜の不穏も、朝が起きるのも夜が覆いを広げるのも、オーロラも、木漏れ日も天使の梯子も水たまりに落ちる雨粒も、漁火も狐火も稲光も落石も、絶望も歓喜も顕せるのが、交響曲だ。 
人類の及ばない自然美に限りなく逼迫した ふくよかで深くて厳かできれいなもの。
 
 
第3楽章のピアニシモからのクレッシェンド、
コントラバスではじめるメロディソロ、
モーセの海割りのような、バリトンの神々しさと威厳。
 
 
弦の響きは気持ちが良いし、
管の鳴りは浮き立つし、
ティンパニやシンバルやバスドラムはとってもすきだ。
オーケストラには個々ではまったくない、かれらが一個体であるかのような精密なうつくしさがある。菌の原初。
 
 
コンサートマスターのチューニング、予感の胎動。
エネルギッシュな指揮者から発散される指向性と宇宙のきらきら。
合唱団はひとではなく楽器や音そのものだった。 
 
 
 
さいっこうにきもちよかった。来年もたのしみでございます。
 
 
良い日!!!!!