ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

火の神様、水の神様。


酔っぱらってるしハッピーだし今日一時間くらいしか眠ってないのにハイで眠くない、というちょっとおかしな状態でおかしなこと書きますよ!
はい!
いつものことです!


 
 
 
焼き物、刀剣、つくるときに『火の神様』がいるってなにかでききかじったことがあって、
おなじように私が扱う透明水彩に、『水の神様』がかかわっていると思うのね。
今日の 温度、湿度、紙がどれだけ水を吸うか、絵の具の量、筆の水含み、そんな様々で在りようを変える画材だから、私はだいすきで、もう、だいすきで…、だいすきなんですが、
 

 
 
言うこときかせる、強制するスタンスじゃなくて、
上手なこと良いとこへたなとこすきなとこきらいなとこ期待してないとこ待ち望んでるとこ、あるのがずっと、どんどんみえてくるから、何年いても、これからさきもずっとたのしくて、とっぷりと水につけた筆と、絵の具をくるくるして、紙にそっと含ませるたび、『ね、今日はどうなるかな?』って共謀者みたいに幼なじみみたいに秘め事みたいに話す。
  
 
『水のかみさま、今日はどうなりますか?』
  
 
おみくじみたいな勘みたいな螺旋みたいな偶発みたいな確率みたいなものがそこにあって、
いつも、裏切られることを期待してる。
今日はどんなふうに、びっくりさせてくれるの?
妙なる、って言いたくなるくらいの、妙味でもって魅了され続ける。 
 
 
 
おいしい水をつかったら、
同じ絵の具でおなじ紙におなじように描いても、おいしそうな絵になるかな。
発色鮮やかな、瑞々しい、瞬間をより鮮烈に内包した、鋭くてまるい作品に、なるかな。
いつかやってみたいな。 
 
 
そう、それで、今日おもったことっていうのが、
『気分の上々なときは良い色が出る』というのは経験則として知っていて、
(だから、画家としては自分をあげる方法やスイッチをいくつも持っていなくちゃいけない)
そこに加えて。今日。
  
 
ひとっていうのはほとんどが水だから、その水が調子いい方が、良い色出るんじゃないか。
つまり心身相関で『気分の上々なときは良い色が出る』というのとも通じるしいっそ同じかもしれないんだけど、
私、透明水彩とものすごく近いのかもしれない!
もっと近づけるかもしれない!
というのが今日の発見!!!!
 
 
体が欲する状態、心が欲する状態を体感で読み取ってそのようにはからってたのしく笑って過ごして、そうしたときって なんてなんて良い色でるんだろう!
水の神様、わたしにも居るんだ。私のなかにも。
絵の具の、紙上だけのものじゃなくて、
きっと私がきらきらしたら、出てくる色もきらきら。
だって水だもの。
私が扱う・生かされる・巡る・心ふるわす ものだから、おんなじものだから、つまりそういうことなんですね!!!




ああ面白い!
すっきりしたー!

 
たのしいね!