気配りと欲張り
さあそれは難しい話ですよ!
気配りさんと欲張りさん、どちらも間違ってはいないのだ。
ただ、ベクトルが、レンジが違うんだ。
気配りさんの『みんな』に、自分は入っていない。
欲張りさんの『みんな』に、不特定多数は入っていない。
みんなハッピーが良いね、と彼らが言うとき、どうしようもなく、ずれた溝が、そこにあるんだ。
かなしい溝。
甘える、頼る。それで相手が喜ぶことを、気配りさんは知らない、しない。
奉仕する、無私になる。それで自分が嬉しくなることを、欲張りさんは、知らない、しない。
並び立っても寄り添っても、平行線のままだよ彼らは。
ドライな気配りさんと 感情的な欲張りさん。
『みんなが喜ぶなら苦労は報われる』という気配りさん。
『自分は犠牲になっても良いから、なんて、壁を作ってるだけだ』と思う欲張りさん。
相容れなくて、諦観と淋しさがつきまとうけれど、
彼らが一緒に笑えるときも、あるんだよ。
あんまり淋しくてかなしいから、ふたりに幸あれ、と私は思うのです。