ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

牙の話

 
 
きっと角はとれてしまった。 
 
 
 
随分、なにかが削がれたようだ。
獰猛で無遠慮で我が強く、推進力で優越で悦楽だった。
時間とともに摩耗して霧散したのか、
安定と安寧の為の 怠惰と臆病に覆い尽くされてしまったのか、
そもそも、そんなものなかったのか、凪いだいまでは判別もつかないけれど。
 

かき集めて また不格好を作り直せたらと思う。 
掘り起こせたら良いなと思う。
存在しないならまた、思い込みたいと思う。

 
 
いつかの激情は、いまは随分くすんでしまった。鮮やかさはそのままの、でも間に張る半透明の膜。
 
 
激しいすべては不定期も定期も当たり前になって、ああまた、と思う波に成り下がって、
天災みたいな恐ろしさや 病魔みたいな予測不可は珍しくなくなって、
いまもまだきっとある感情達に、慣れてしまった。
 
 
こんなふうでいたいわけじゃない。
あるひとは、落ち着いたんだと評するだろう。
あるひとは、自分が判ってきた/定まってきたんだ、というだろう。
わたしは、これが歳を重ねるということか、と思うだろう。
 
 
うしなったなにかの場所には、相当するなにかが補填されて、きっと過不足なく生きていける。
 
野心と希望と恐怖と笑みと、駆け回る気持ちと空高くへの憧れは、そういうアンバランスは、
知っていくこと、疲れていくこと、諦めることでうしなわれていって、
だからそう、のっぺらぼうに なってしまうのがこわいんだ。
瞼の裏に踊る色たちが 存在する機会をうしなう。

 

悔し涙と引換の 薄ら笑いなんていらないよ。
もっと炎を、嵐を、極彩の森を、影の瞬きを、光まみれの音を、傷跡のただれを、もっと辛辣に、もっと鮮明に。
 
名前なんてなくていいから あの激情をください。
泣いてしまいそうだ。
この 乞う気持ちや滲む涙がその徴候だと良いなと思うんだ。
いまもあるのかもしれない。
これがそうなのかもしれない。
いつもの波だよって ただちょっぴりの沈没で、弾みで突き抜けられるよって、だったら良いなと 思うんだ。
 
 
抜けた犬歯が散らばっているのは 代わりが生えてくるからだよって どうか
草をすり潰す歯でなくて。










 
 
 

 
 
 

fig-C.