そこにあり続けるもの
Menozのライブに行ってきました。
渋谷MilkyWay(2016/5/11)。
空いてる時は最前真ん中で観るのはMenozのはじまりの五年前からの習慣で、そうすると視界いっぱいにあのきらきらした現代の夢が広がってとても没入できて贅沢なのだった。
今月Menozはこのライブだけで、主催のレコ発のバンドに呼ばれて出ていたので最後から二番目の出順だった。
僕らのナツ。
現代のケモノ
九月の夜汽車
YO RO Z
アドベンチア
かな?
最近Twitterにセットリストあがらないから自信ない…。
なんだかはじまりからとてもじんわりしてしまった。
最前真ん中を悠々とれるMenozなんて久しぶりではじめの頃を思い出す、というのもあったとは思うのだけど、五年省みて、続けていくことって難しいよなあって。
どうしたって色んなことが変わっていくし、人ひとりの身にだってなんだって起こっていつもや当たり前なんてあり得なくて、その表現にだって不変も絶対も無い。
なくなってしまったバンドとか、描かなくなってしまったひととか、どこでどうしているのか分からない人とか沢山知っているし、五年経ったあとで住む場所も関わる人間も皆変わってる。
私とて一生描く、ということだけ決まっていてもいまは5年前と違って展示偏重ではないし、環境もぐんぐん変わっていくし。
人ひとりでも維持や継続は慄く程大変なのに、MenozはずっとMenozだなあとしみじみしてしまった。
相変わらずきらきらしてるよ。
昔よりずっとひらけていて、どんどん刷新もされていて。
あ、五年通ってて良かったな、って思ってた。
それがいつかにどう転じるかはわからないけど、できるときに、そして一番気持ちの当てはまるときにそれをしなければ。
この晩も頑張ろうと思いました。
Menozはきらきらした扇で霧を散らしてくれる。
がんばろ。