ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

飛び石みたいに

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生きていると「知っているけどよく知らない人」とか、「何度も会っているのにちゃんと話したことのない人」がたくさん現れる。
「昔はよく会っていたけど暫く会っていない人」とか、「そんなに頻繁には会わないのだけど数年ごしで会う習慣になった人」なども現れる。
勿論「そんなに間を空けず会う人」や、「月に一度くらい顔を合わせるくらいはする人」も。
「極僅かの期間密に会っていた、いまは会わない(会えない、という場合もある)人」もいる。

自分の生は生涯自分の身しか経験ができなくて、その進行する線に平行する線が現れたり、交差する線が他の人の生なのだと思う。
自分の一生を自分以外が追体験できないように(乳幼児期・無意識・眠り・混乱や喪失等言語外の存在)、誰かの一生も自分は一生分からないままだ。

それでも、たまさかタイミングが合って、思いもかけなかった人のたくさんのことを理解できることがある。
共有した時間がそれの一番わかりやすい尺度ではあるけれど、たった一夜、たった数回の邂逅で人の芯に触れることがあって、そういうものを持ってその人が生きてきたこと、それを聞く機会に恵まれたこと(自分が生きて、その人に出会い、その話を聞くことになったそと)、それを話してもらえることが、どんなに得難いかと後日しみじみとすることがある。


生きることは全然上手くないけれど、生きるのはこういうことがあるから本当にたのしいなと思います。

みんないろいろあるからそう会えないけどね、輝かしい夜をなるべく覚えていたいね。