風邪と、【大人になるってこと】。
手帳を開くと、半分をとうに過ぎていた。
買ったばかりの12月に、
わくわくとして開いたまっさらの手帳は、
さて穴を開けずに書ききれるかしらと、
継続に臆すほどだったのに。
いまや挟んだ紙切れと、
あちこちのページにざわめく付箋紙たちと、
綴られたインクや黒鉛の重みも合わさって、
はじめのきりとした佇まいとはかけ離れている。
その厚み重みと汚れと記憶の索引には、
殖えていくことの嬉しさと、
過去の存在する煩わしさと、
明日以降の挑むような底知れなさが、
等分で含まれている。
相変わらず相性の良い手帳である。
先日風邪をひいた。
生年より病知らずで18年ほど生きてきたので、
病や身体の不調に慣れていない。
生活の一切を自らの元においてから、
何度か具合を悪くしたが、
今回の風邪は2、3番目くらいの重症だったように思う。
日頃から人は、
身体なり思考なりに、
いちにちの一巡りでは、
消化しきれないものものを積んでいくのだろう。
あれやこれやと許容量以上に抱え込む癖があり、
その風邪の前は特に顕著に、
生活に仕事に絵に遊びに読書に手を抜くまいとしていた。
注力したいものごとは、
なにがしかの周期の折り、
とりわけ意気込む時期には重なるものだ。
手をかけ時間をかけるほど、
面白くなってくるという人の性質のせいもあるのだろう、
選び行動に移すほどに面白く、
高揚がまだできるという誤認を生んで、
いつの間にか身体だけがぱったりと疲れている。
自分のキャパシティに見合った配分で、
すべてをバランス良く継続していきたい。
とは思うのだけれど、
反面、
それ以上に臨まなければ、
ある種の進化や成長や、
新種の愉しみは手にできなかったりする。
そしてまた、
要素の一つ二つと引換に、
現行心惹かれるものに注力してしまうのだった。
今夜こうして記事をしたためているように。
まあそのうち、
いちばん愉しく、
いちばん笑えるバランスを、
いつのまにか得ているんだろう。
いつかの暴力的な切迫と切望が、
時間に均されたように、
これは経験が教えてくれたことだ。
さて、
日をあけて、
隔日で三日寝込む風邪をひいたわけだが、
治ってしまうとそれはもう、
不思議に身体が軽いのだった。
思うに病に寝入ることで、
たたっていた無理の帳尻を合わせたのだと思う。
身体の調整、調律、クールダウン、均衡保守だったのだ。
身体に任せて強制のかたちをとるのでなく、
自認を重ねて休息や気休めを入れねばなあ、
という反省半分、
そうか細胞の意志とはかくも、
という驚き半分。
得難い経験であった。
半分を切った手帳、
いつ終わるとも知れない時間で、
あとどれだけのものを出していけるだろう。
身体に依って産まれ、
身体の一部ではないものたち。
色の組み、物語、閃き、想いや、思想や発想、音やことば。
早くかたちを与えてあげないと。
この身体朽ちる前に。
閃きが風化する前に。
さわさわと粟立つ気持ちを篩って、
いちばんたしかに、
いちばん正直に、
いちばん美しくかたちにしていこう、
そう思う働きが、
大人になるってことなんだろう。
身体を健やかに保つのは、
その支柱みたいなものだ。
あと半年だって、
すぐ終わってしまうんだから。
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