ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』と×.11


映画を観ました。
先週かな。
 
ずっと観たかった『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』。
 
 
五感ぜんぶで感じるちっぽけ、確かさと、喪失に至るまで。
すきな映画だった。
カモメの声がつよい、視線を映す時間が長い、感覚にクローズする映画だった。
“あの日”は“あの最悪の日”と呼称されていて、今日を思い出した。あの日を思い出した。
キャパシティを越えても、感じるものがすべてで、どこかで呑みこまなくちゃならない。折り合いをつけなきゃ・考えなきゃ・識らなきゃならない。
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、のは、ふたっつくらい、考えたけど、陳腐がこわいので口を噤む。
  
今日読んだ本の一節を思い出す。
『うなり続ける羽音。生きている、生きている、生きている。私は耳元でそう呼ばれているような気がした。全力で、必死で、生きる。生ききったから死ぬ。足下の死骸は、ただ全力で死んでいる』
『しかし今はどうだ。ぬるま湯のなかで遠隔操作の攻撃に怯え、自分から目をそらして他人を羨むような輩に成り下がっている。それはきっと、力を惜しんだからだ』
『このままでは、全力で死ぬことすらできやしない』
『ただ一撃に賭けた、この針を見習え』

一年前の今日、私は原宿のDFGで『オリバナムの寝言』って展示をしていた。香りと絵の展示だった。観にきていた、幼なじみと一緒だった。偶然遇った知人のホテルに4人で歩いていって、7階で怯えて夜を越した。
今日、私は原宿駅で降りて、国立競技場がうつくしいなって思って、たまに誘われる売り子のアルバイトをしていた。兄が友人ときた。桃のジュースを買ってもらった。イベントの終わり頃、どこかでは映像と、こちらに届く放送がながれて、一分間の黙祷があった。動いていた人々が口を噤み、立ち止まり、遠く犬の鳴き声だけが聴こえた。あんな雑踏で音が消えるなんて、思ってもみなかった。時間が止まったようだった。
 
 
 
なにかを表明せずにそこにいるとき、ひとはなにを選んでなにをするのか。
そういうことを、考えている。
だれもかれもが好意の厚意の行為の塊。
1はなにを得て、なにをするのか。

 
 
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