ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

ちっちゃなメンテナンス

 
 
私が弱った。
友人が恋人と諍う。
あのひとの笑顔が減った。
 
やる気というのは行動についてきて、たとえば旅を、たとえば描くことを、たとえばおいしいものを食べたいと思うことを、それぞれすればするだけ、もっと が生まれる。
だからやる気がでなかったら、だいじょうぶ、やり始めれば良い。
モチベーションをあげるには がばっと行動にうつしたり、いままでの自分から読み取って、集中しやすい環境(ヘッドフォン、暖かい部屋、すきな香り、たっぷりのお茶………)を用意すれば良い。部屋をきちんと整えて、いつでも臨めるよう、作業中に面倒な手続きをとらないように取計らっておけば良い。
 
 
でも
つまらない冗談がつきささったり、
何を言われても苛々してしまったり、
漠然と不安で手がつけられなかったり、
どうしようもない自分に嫌気がさしたり、
闇雲に淋しくて悲しくてやるせなかったら、
いったいどうしたら良いんだろう? 
 
周りは良いひとたちばかりだし、おいしいものを食べて、働いて、眠っているのに、どうしてこうなってしまうんだろう。

 
数々のそういうとき、きっと、笑い飛ばす余裕がなくなったんだ、って思うようになった。
きっとそれを笑い飛ばせるほどの元気や余裕や自信が、自分や、友人や、あのひとから失われたのだわ。 
だったら。
きっと甘やかしていたわって休んで、回復させるしかないのだわ。
かんたんだ。
事態はときにより、簡単ではないかもしれないけど、簡単だ。することは決まった。 
 
 
 
 
私が弱ったら、たっぷりの睡眠と、あたたかいおいしいお茶と、すきな本と音楽、ふんだんなうつくしい色。鍵のかかるあたたかい部屋。器や服や、帽子や、ブックカバー、急須、数々のこまやかでいとおしいものたち。なにも考えないでつかる湯船や、必要ならば、涙を吸い取るタオルやティッシュ。お風呂でぱちゃって、流してしまっても良いんだ。すきなひとたちの声や、言葉はいとおしいけれど、きっとこのときはひとりですっかりなにも気遣わずにいたいから、ぬくぬくのベッドで何度も夢をみる。“洞窟で傷を癒す動物みたいにじっとしている”。胃は軽やかなままに、喉を潤す果物や、野菜たっぷりの滋味のスープ、たきたてのしあわせ色のごはんも。
 

すごくだいじなひとが傷ついたり、ふかく悲しんだりしたら、そのとき私を思い出すなら、
甘いものとおいしいお茶とやわらかいティッシュと良い香りと私にできうる限りの料理ときもちよい毛布を用意して、のしかかったり抱きしめたり手をつないだり頭をなでたりする。そうする。
 
 
ちょっとした距離のひとが、そうしていたら、
私のだいすきなチョコとメモとか、
おどけたメールとか、
こころ休まる言葉を贈ろう。
  
 
つかれているんだ。
苛々や、鬱々は、疲弊の指標で、いつのまにかきっと気付かないうちに、心地好くすごす余力をなくしてるんだ。
ちっちゃなメンテナンス。 
 
こんなことじゃどうにもならない、嵐みたいな感情もあるけど、そういうものは、やらなければどうにもならないものだったりする。会得や達成がいちばんの薬になる、それが一番きもちいい。
こういうものは、困難な分、かえって贅沢だね。自分との競り合いや研磨や葛藤や、そういうもの。 
 
 
ああなんだか、こうやって「大人」になっていくんだね。
拗ねたり、だだをこねたり、甘えたりしてもどうにもならないことを知ってさ、
自分でどうにかしなきゃって (ほんとのほんとで理解して)(でも全然判ってなくて)
そうか自分をなおせるのは自分だけか。
笑顔をみたいならはたらきかけなくちゃ。
そうやって。 
 
 
 
 
 
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