ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

黒い器

 
『黒い器に緑茶って、とってもうつくしい。なにをいれても真っ黒で、なに色の液体かもわからなく見える器だけど、みどり色冴える熱くておいしいお茶を入れたときだけは、ちらちらした茶葉の欠片と煙みたいなみどり色が、こんこんと底からわき上がってくるみたいに、まるで底なんてないみたいに見える』(2012/1/24/Twitter呟きより)
 
 
真っ黒い器をひとつ、内側がまっくろなものをひとつ、持っている。
ひとつは、スナフキンがベージュのシンプルな線画で施された、真っ黒なマグ。
内側の黒いもうひとつは、高校を卒業して、東京にきたときに、(当時)京都の友人が送ってくれた、手作りのうつくしい、すばらしい御飯茶碗。 
 
 
スナフキンのマグは、なんにでも合う。
焦げた茶色に煮だした黒烏龍、
香り高い珈琲、
淡い色の薬草めいたブレンドティ、
ミルクとココア粉末で濁ったホットココア、
柚子の欠片の踊るあたたかな柚子茶、
とろんと香ばしい茶色のほうじ茶、
赤煉瓦を飴細工にしたみたいな色の紅茶、
冬眠る前に、ちいさなミルクパンで弱火であたためたホットミルク、
ときにはコンソメスープなんか入れても、きっと似合ってしまうだろう。
 
そんなスナフキンマグが、とりわけうつくしくみえるのは、あたたかく茶葉の粉舞う、入れたての緑茶を注いだときだ。
縦長のシルエットのなかで、縦方向に茶の巡るのがみえる。
底ではやわらかくみどり色がけぶっていて、それはまっくろな器にとりかこまれても、けっして損なわれやしないのだ。
その上を、夏の昼間の室内で、陽に透けちらつく埃みたいな量と、繊細さの、かつて一枚のお茶の葉だったちらちらしたものが巡っている。
薫っていて、まろみがあって、それはそれはうつくしいみどりで、真っ黒な器はおいしいお茶を呑ませてくれる。
ちなみにいまは、鹿児島茶『冬の便り』。おいしい。 
 
 
いまは愛知に住む、陶芸家志望の友人のくれた器は、スナフキンのマグより鈍(にび)の黒をしている。
真っ白な、土鍋の直火でおいしく炊いたごはんを入れて、たべて、残ったあと数口。
そこにみどりのお茶を注ぐのが 私はなによりすきなのだ。