ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

思い出話

 
 
まだ今年は逢っていないのだけど、10年来の幼なじみがいる。
(この場合の10年来は、10年とすこしってこと。小学校からの付き合いだ)
彼女はうちの近所に住みはじめて1年強くらいになるので、すっかりこっちの生活にも馴染んで、ちらほら逢ってなにかを食べたり話したりする。
「そんな小さい頃から、なにかをきれいだと思う情緒があったんだね」
これは私が、彼女に言われていちばんびっくりした言葉。 
 
 
小さい頃の話をしていた。
(不思議なもので、どれだけ一緒にいようとどれだけ話していようと、話すことってのはつきないものだ。
思い出はごく個人的なものだし、日々は毎日繰られていくから、常々思考も記憶も更新されていく。特定のだれかに話したいことも、こうして不特定のだれかや未来の自分に書き記したいことも、だれかに触発・影響されて思いつくことも、とかく言葉は無尽蔵だ)
 
有り体に言って、私はファンタジーがだいすきな無邪気な子どもで、そのときは家の周りをふらふらと遊んでいた。
「魔法の粉」
などど得意げに、塩をいれたビニール袋を持って。
自宅の横に駐車してあった、母の車に「魔法の粉」をかけ、一抹の悪気もなく報告し、「錆びるでしょ」と怒られた。
まだ金属とナトリウム結晶の相性なんて、そもそも金属と鉱物の種別なんて、知りもしない、おそらく幼稚園児期の話だ。
(関係ないけれど、雪の結晶、あれはおそろしく脆いけれど、一種の鉱物に数えられるらしい)
 
 
そんな昔話を、なにかの折りに幼なじみに話した。
こんなことして怒られたことあるよって、笑い話を。
彼女の答えが「そんな小さい頃から、なにかをきれいだと思う情緒があったんだね」というものだったので、私はそのときは驚きの正体を把握できなかったものの、ひどくびっくりしたことだけ、覚えている。1年以内の話だ。
 
 
憂えていて、着実で、不安がりだが現実的で、熱情はやみくもにさらさないタイプ。
私と仲良くなるひとびとに共通する性質として、彼女も『(ある方向からみて)私と真逆』。
そんな彼女に、
このひとはきっと良い母になるだろう
なんて思ったのははじめてだったので、私はびっくりしたのだった。
無知の失態より、なにか佳いとされるものの芽吹きに目がいくひとなのだ・そんなこと考えたこともなかった、と。 
 
 
 
思い出話。