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ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

そこに行きたい

 
先日対談をしてきました。 
 
 
はじめての対談。
雑誌の対談やなんかがそこはかとなく好きで、気が向くと好んで読みます。
余裕のあるときに新しい考え方に触れたいなってゆるめに目にしたり、つかれているときにだらだらと読んだり、ごろごろしながらさらっと読むのがちょうどいいかんじです。 
数々の対談を読んでは、いつか呼ばれて対談なんてしたいものです。
…なんて数多の夢や願望のひとつとして秘めておりました。 
 
あらたにはじめる試みの実験・初回として呼ばれたのでうれしいやら気負うやらでしたがすこぶる饒舌にことをおさめました。ことによるとしゃべりすぎです。
絵描きを毎回呼んではある質問をする、というスタンスの対談なのですが、
『きれいごとじゃない本音をききたい』というのがおおもとの考えのようです。
というわけで当日録音開始してから訊かれた質問は結構な大上段で、こたえに行き着くまでもやもやもやもやとまとまらない解答をしておりました。
 

禅についてはにわか知識ですが、絵を描くことは禅問答に似ているように思います。
思索、試作、思惑、奥深くへ入って答えのない答えをさがす、そもそもなんなのか、なにが自分なのか、どこになにがあるのか、いまこのときはなにか、延々続く終わりもない、立ち止まっては歩き出して、踊り狂っては泣きはらす、みっともないすべてに向き合うこと。
画面に向かって最良の色や線をさがしていると、執着や思い出や野心や弱気がつぎつぎ立ち上がってはあらわれて、こんこんとつきつめたり見方を変えたりしないと先に進めません。
ああもっとシンプルになれたらいいのに。もっとストイックに、もっと明快に、もっと斬新に。
いっそ肉体がうとましい。
描けばかくほどたちあがるさまざまが、もうほんとうにどうしようもない未熟な自分と、それが如実にあらわれる画面とを同時にみせる。
 
 
話しているうちにわかったのは、企画者であり対談者である相手が、『そんなふうに実際はかっこわるいなさけない、耳触りの良い美化された絵描きじゃない、生の部分を知りたいし知ってほしい』って想いでした。
 
 
それが判ってからは随分ヒートアップしてしまったのですが、なかなかみられない生の声満載なものになったと思います。
編集して公開するそうなので、そのときあらためておしらせします^^ 
 
 


 
 
話していてやっと辿り着けたのは、『そこに行きたい』ってこと。
絵を描くのも、ひとに逢うのも、音楽を聴くのも、本を読むのも、出掛けることも、選ぶことも、捨てることも、話すことも、繋ぐことも、考えることも、働くことも、食べることも眠ることも、すべては『そこに行きたい』って気持ち。
 
未だ知らないそこに行きたい、
思い描くそこに行きたい、
みたことのないそこに行きたい、
なによりもわくわくする場所へ、その道行きでしか行けない場所へ。
選んだものすべてが『自分だけの』標になるから。
一番心惹かれるところへ。 
其処へ、底へ。 

 
そういう大切なことを 判ったのか 思い出せたのか とにかく心に留めさせていただきました。とっても得難い対談でした。 
すてきなことは巡りますね。
 

 
 
  
  
 


 

 

最近は寒さも手伝ってひきこもりがちです。
本読んで→絵描いて→本読んで(この間ずっと玄米茶を呑んでいる)→絵描いて→たまに買い物と図書館行って。たまにひとに逢って。この繰り返しがしあわせすぎる。
ずっとこうしてたいなあ。
出勤したくない。笑
でもしたくないしたくないというのもせっかくの機会をつぶすことになるので、いましか得られないものできないことをさがしつつ眠りにつこうと思います。
 
 
これから晩スープなんですけどね^^
今日もありがとう、おやすみなさい。あなたにもすてきなことがありますように。