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ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

絵が売れること

 

きんいろは 元気がでる色。だめなときも。いいときはもっと。
 
 
 
 

 
絵が売れることについて。 
 
 
絵が売れる。おおごとです。
絵を売って糧にしていきてたい人間なので、おおごとです、もなにもないんですが、おおごとです。
 
以下私見。 
絵が売れるってことは、ただ物がひとの手に渡りましたよ、ってことではないのです。
イラストレーターみたいに詳細うけた受注仕事と違い、わりとすきかってに描いて、こういうのがすき、こういう色が良い、こういうものを作りたい、って非常に個人的に作ったものが、ひとの手に渡る。
「極端に言えば、世界でたったひとりの誰かが良い、って言えば、それは良い絵だ」というような話を昔だれかがしていて非常に得心がいったのですが、極論ものすごく個人的な共感、興味が、ひとに絵を買わせる。
夜を越して私のなかからでていったものが、たったひとりの特別になるのは、ただの売買じゃぜんぜんない。
おなかも膨らまないし、着飾るのにもつかえない、お茶がのめるわけでもないし、場所もとるし、音楽みたいに持ち歩けない(小さい場合を除く)、ただ飾る みるそれだけのもので、ほかさまざまに使えるお金と時間を、その絵に払ってくれるというのは、おおごとなんです。
かざったら何度もそれを目にする。
一分一秒一刹那、五感の感受するもので 刻一刻と自分は変わっていて、これからにおけるそのいくらかのパーセンテージを、そのひとの要素や 家の雰囲気を託される。
私が描いた絵が、私のしらない物語を辿る。
 
 
絵で食べたい、すてきな色だと思ってほしい、どうしようもなく欲しがってほしい、みてはにやにやしてほしい、生活の一部に選んでほしい、そういう望みを叶えてもらえたうえ、「これから」に選んでもらえるのは、ほんとうにうれしいことです。
そうしたいよって思ってもらえたとき、息をつめてた私のどきどきが初めてむくわれる。
自分がどんなにすきと思っていても、だれかの必要にならなけりゃ意味なんてない。そういう感情ににっこり笑って頷いてくれることだ。
 
 
永く 私がいなくなっても絵が残り、たくさんのひとの目に触れるのも、もちろん望む。
でも進行の 目に届くいまで、だれかの特別や必要になるのをみるのは、なんてしあわせなことだろう。
いつかの私の十全が、たったひとりに強くふれるものであったことを誇りに思う。
 
 
そんなわけで、買ってくれたひとへの感謝5:5について最近よく考えている。
半分は、選んでくれてありがとう。
半分は、意志をくれてありがとう。
あなたの時間に選んでもらえたことを、後々あなたが誇れるように描き続けます。
…と思うので、絵を買ってもらう、ってことはとってもおおごとなのです。
これはいつになっても思ってたいなあ。 
 
 
 
こうふくなことです。
ありがとう。 
 
 
 

最近ずっとつけてる、金とラピスラズリのペンダント。
ラピスラズリは天藍石、瑠璃、青金石とも呼ばれる、夜空に見立てられた石。
紺の夜にきらきらちらちら金が輝くのは、ここ最近すっと惹かれる。 
 
これもいつか 絵のどこかに。