ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

ことばあそびのこと

ときおり不意に、言葉を吐き出したくてきれいな言葉で感情を囲いたくてたまらなくなる。
ここでいうきれいな、というのはうつくしい、だれからも好まれる、やさしい、楽園的だ、という性質のものではなく、完結している、言葉に色と性質が備わっている、そう色の名前みたいな 由来と表情と終わりのある、きちんとした状態にしたいのだ。
感情があまりに無鉄砲で暴力的だから。
 
 
注ぐ紅茶の薄茶色の 透ける色と香りを、彼みたいだなと思う。
手に取った本に、彼女の面影や性質を見る。
見上げた空に 魅せたい見せたい診せたいものを想い、ひとを思い、ああうらうらとひとりだ、って浸ってみたりする。
駅の雑踏にたって、高速の流れる風景で、あのときやあの場所やあのひとや あの気持ちを想う。
 
それはかえってきはしないのだ。
 
  
私はたくさんのこれまでと、身に帯びて纏いたいこれからでできていて、一瞬だっていまはなくって、いまは刻々の変化、あるようでないもの、隣にあって届かないもの。
いつだっていまに焦がれて、次をみうしなっていて、前があったと信じてる。
世界3秒前誕生説みたいに、あるようでないようなあるけれどないものだ。
 
 
もやもやと言葉遊びをしていたくって
一歩もここから動きたくなくって、でもすぐにでも出て行きたい。
 
 
けぶるような紅葉と 真っ赤なシート
霊廟としての墓地
おばあちゃんも祖父もちぢんだ
 
 
かなしむ素材にはことかかないけど、
忙しさにかまけて悔いることのないよう
目の前にあったのにふれなかったとおもわないよう
存在しない昨日も今日も明日にもすがらないよう
考えるんだ
見るんだ 触れて、つくって、描いて、話して、一瞬いっしゅんの空とか樹とか花とか虫とか声とか、そういうものぜんぶ なるたけたくさん


秋のセンチメンタルってこんな感じなんて洒落こみたいけど どうせいつもこんなもんだ
素直を学ぶたびみえるつよがりとか洒落っ気とか表皮がみるだに乳臭い
こう滔々とだらだらと 摑むようで摑まない、掴みたいわけでもない言葉遊びをくりかえすんだ



さあすることはいっぱいだ
ごたくや 怠惰は いつもいつでもいつまででも
実質は行動にしかつかない。