この忘れてしまいそうな日を覚えていよう。
朝イチ仕事で、意外にもはやくことが進み昼過ぎには終わって、帰宅。
絵の具の乾きを待ちつつ、ソファベッドはじめて倒してマットレス化して読書。
薄曇りの日のすずしい微風と
夏仕様の薄着と
ようやく胸元まで伸びてきた髪と
適度にひんやりした合皮のマットと
おひるね毛布のふわふわと
読みかけの本。
もうこんなにしあわせでいいのかってくらい最高に気持ち良かった…。
すごい満たされたー…。
夏がきたら忘れてしまいそうな、この適温の気持ちの良い日を覚えていよう。さらさらしていた。
15時-20時くらいまで眠ってたんじゃないかな。
もはや奇跡的なシエスタだった。
触感、というものがどんなにか私に影響するか解った日だった。
服も、ソファベッドも、髪も、毛布も、最高に気持ち良かった。
最近考えるのは、『いまがこの先に活きてくるし、いままでがいまに活きてきてる』ってことで、
もう随分そういうことを繰り返してきたし、ずっとこうなんだなあって思う。
今日を私は忘れるかもしれないけど、今日はたしかにあった。
ってことを毎日繰り返して なりたい自分に行きたい場所に近づけてく。擦り合わせてく。毎日を摂取してく。
最近なにしてても思う。
育んでいる。
いまは育む時期で、もどかしくも勿論、あるのだけど、育むことをたのしむ いままではなかった感覚がたのしい。
目前の壁を突破して壊して登ってあるいはデコレートしてきたんだと思う。
それが、進むべくとるじゃなくて、一点にとどまって材料を集めたり、蓄えたり、吟味したりしてその場で作り上げていく、そういうシーンにきっといまいる。
たのし。
今日をきっと覚えていよう。さらりと過ぎた夏の前の日。