ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

震災に関して----「その話し合いをしておこう。」


6月も半ばです。

三ヶ月が、経ちました。
ちょうどあの日、ニ件の展示をしていた私は、原宿のギャラリーで、地震に遭いました。
帰れなくなりましたが、運良く出逢った友人のところに、友人と泊めてもらいました。友人たちといられたので、心淋しくはなかったのも、幸運でした。
いまこうしていることも。

随分たくさんのひとにみてもらえなかった、これは展示としては失敗なんでしょう。
けれど、私の知っているひとに、大きな被害はありませんでした。不遜なことと存じますが、これだけは、ただただありがたいです。
展示なんか、いつでもできるのです。
無事をいただけたことが、ただただありがたい。
 
 

私にできることはなんだろう、
私がほんの少しでも、助けになれることはなんだろう。
一体何を知ればいいのだろう、
何を選んだらいいのだろう。
私は、いろんなものを守るために、なにをしたらいいのだろう。
何を、どう考えたらいいのだろう。
 
 
知識も、行動も、お金も、微々たるものです。
微力は無力ではない、と目にしますが、歯痒さは変わりません。
 
 
私は何も知りません。
何もできません。
そしてそういうことは、すごく歯がゆいし、苦しいし、たいせつなひとたちが苦しんだとき、なにもできないことを、想定すると、もうほんとうに無様で無力で泣きたくなる。
 
 
何を知ったらいいかわからない。
何から選んだらいいかわからない。
だから、知りたい。得たい。
だいすきなHPで、そういうひとのための、「次」に備える文言がありました。


ほぼ日刊イトイ新聞「その話し合いをしておこう。」
http://www.1101.com/saigaitaisaku/2011-06-10.html

6/14は連載の三日目です。半ばです。ほとんど毎日、更新されます。
ほぼ日刊イトイ新聞TOP http://www.1101.com/home.html


引用になりますが、

「ぼくは、なんにもしらない人間の代表ですので。
そういう人でも理解できる、
簡単に役立てるページを目指したいんです」

「このくらいのことを明確に知りたいんです。
「そこまでしなくてもいい」ということと「しておいたほうがいい」ということが
みんな、ごっちゃになってるんですよ」


こういう、ところにすごく落ち着く、おすすめできる真実があると思いました。

言葉を発すること、情報を発することは、責任を負うことです。
このお話が、絶対とは言いません(まだまだ未知な部分、というのはどこにでも潜んでいると思います)。
ただ、このお話を読んで、こういうところからやってこう、知っていこうと思いました。
 

私はほんとうに無力だけれど、次に起きたときに、最低限このことは知っておこう。
3ヶ月前と同じ自分でいるのはやめよう。
自分できちんと腑に落として、選んだ情報を 理解して話せて行えるようになっておこう。


勿論、これだけですべては足りません。
原発のこともあります。
未曾有の事態に取り巻かれています。
私の貧弱な脳は、追ってもおっても追いきれませんし、ものによっては理解すらできません。
ただ、絶対起きると言われている「次」にすこしでも備え、
いまはまだなにを伝えるちからもなくとも、なにもできなくても、
そのときすこしでも動けるように。生きられるように。
もっと望むならば、生かせるように。

 
いまこうして 責任負って動いている大人たちに、いつか自分がなれるように。

無知で浅薄で無力で微力で非力な、私が出したできること です。




ここまでお付き合い、ありがとうございました。