気勢
張りつめているのは いつもいつのまにかで 毎日の隙間を縫って、いつもいつのまにか。
切迫も不信も、手を振る岸辺は数あれど 帰る港のないように、寄る辺ないことも。
感情の千々も横暴も逼迫も軋みも、どうしたって手に負えない。
海外の小説が 無性にほしくなるときがある。翻訳本。
ここにない色、ここにないもの、ここにない仕事、ここにいないひと、ここにない表現。
そういうものが 読むことで私とゆっくり混じりあって、とろりと浸蝕すれば良いと思う。
全智も全能も不可能で、レオナルド・ダ・ヴィンチは人類から一番遠くて、喉が渇く。
ここにないものなら、新しい道なら、知りもしなかった港なら、あらたな方策がみつかるかも、
新じゃがとツナをまぜた。
しめじとえのきと豆もやしとバターと醤油を明日炒める。
米を研いだ。ひたしていて、明日、いつもの土鍋でたく。
浴槽に湯をはった。
小さなたしか は蒙昧で微小だけど、着々と堆積していくから 気を抜くと埋もれて苦しくてつかれてしまう。
小さなたしか は 達成感で生活感で実感なのだけど。
張りつめているのかもしれない。
そういえば環境は変わったばかりだし、急に追い込まれたし、特別は靄がかっているし、ただそんなことには 気付けなかったんだけど。
いつのまにかの強がりは、昔はどうしていたんだっけ?
弱音を吐くのに気を遣い、遠慮と卑下を繰り返して、周りが迷いない流れのように思える・こんなこと前もあったような、なかったような。
自戒と理解と自尊の保持と決壊、肩の力を抜くことと、姿勢を正すこと。
歩くこと。
笑うこと、うたうことは そういう そういう補填ができてから。
生物。
こういうときにみんな 音楽をきくのかもしれない
友人に弱音をはくのかもしれない
家族に甘えるのかもしれない
『洞窟で傷を癒す動物みたいに ただじっとする』のかもしれない
言葉に溺れるのかもしれない
恋人を抱きしめるのかもしれない
ブラッシュアップばかりをみていたけれど、メンテナンスも身につけなくちゃ
(この『○○しなければ』がいけないのかもしれない)
両手にいっぱい以上のものは持てないって さんざ言ってきたし知ってるはず
取捨選択、メンテナンス。選別と実行、油をさす。
腕に抱えようとしたら 掌のもの落としてしまうよ
無理に持とうとしたら 傷を負ってしまうよ
見極めは 経験と知識と、体感をどれだけ信じれるか
ああまったく もっとシンプルに なりたいもんだ