ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

お金持ちの話


 
もし、
急に、
ぽんと、
お金持ち、大金持ちになったら。 
 
 
欲しい物はぜんぶ手に入って、
行きたい場所にいつでも行けて、
頑張って稼ごう、とか思わない。
 
そんなひとになったら、 
 
 
 
そんなひとになったら、
人生は退屈そうだな。
ひがまれることも、勘違いすることも増えるだろうな。
感覚が鈍くなりそうだな、
頑張ることを忘れそうだな。
 
 
 
 
何百万、何十万、という単位で絵が売れるのは、すてきだし、(そんな価値をつけてくれて買ってくれる状態が)理想だなーとも思うけど(絵に専心できるしね)、
何千万、というのはちょっと こわいかもしれない。
 
何百万、に使い道を見いだす自分は考えられるんだけど、
何千万、は手に余りそうだからかもしれない。
処理しきれないものを手にするのは こわい。のかも。

 

お金があるということは 幸福と直結していないんだなあと 芯のところで理解した。
(勿論お金がないことが幸せではないし、お金がないことで気持ちがきゅうきゅうとしてきたりも、出逢いの機会をなくしたりも、する。ただ幸福そのものではなくて、ツールだったり代替価値だったり保険だったり方法だったりのものだなと)
 

 
私には、『絵を描く』っていう 一生終わらない、答えのない遊びがあるから、そんなときがもし来ても、飽くこと無く日々を送る ってことができるだろうけど、
それがなかったら、自信無いなあ。
たのしみはいくらでもみつけられるし、いくらでもたのしめると思うんだけど、
不意にくる虚無や不安や猜疑や問いに その私は耐えられるんだろうか。
 
 
 
絵を描けなかったら、文章いじり倒したり、陶芸に興味もったり、ファッションの仕事したくなったり、恋愛や育児に動物に人生捧げたり、ひたすらインプット(読書映画芝居ライブ展示鑑賞等)したり、料理にこったり、するんだろうか。
 


最近いろんなひとといろんな話をするので あのひとのあの話と あのひとから聴いたあの話と 自分で考えてることが 混ざってるんだろうなあ。すこし推定がつく。あとは無意識下の話。
 
 
 
と、さっき読んだ記事(http://bit.ly/azj9mo)に、
『この世で一番リッチな人は、お金を持っている人ではなく、好きなものがいっぱいある人』

って出ていて、なるほどなあ と思ったのでした。


なるほどなあ。
そういう意味じゃあ、私は間違いなくリッチだ。