ここで見たこと

絵描きのなんでもない日々です。トウキョー周辺。

凡凡

 
長原さんが私にみたものは、いったいなんだったんだろう。
 
 
皆が持ち、口にする私への印象と、自身の自己評価の 差異。
変わっていると言われ、インパクトが強いと言われ、それなのに絵がきれいにまとまりすぎている、と言われる。
 
彼ら彼女らの評価より、ずっとずっと平凡であることが、私の悩みだというのに。
 
 
我欲が許さないから こうしているだけ。
凡庸で薄っぺらくて 陳腐で猥雑で ありきたりだ。
 
奇抜も異様も特別も遠い。
ひとがなにを私に視るのか しらないが 
変わり者になれるのなら 教えてほしいくらい。
唯一の絵が描けるなら 教えてほしいくらい。
闊達で自由で奔放なんて 目指すのにあまりに遠い。
 
壊し方なんて知らないよ
 

 
何かが嘘で 何かが掛け違えられている。
 
歪んだ磨りガラス越しの観察。
雨上がりの水たまりの重油。
ちびたクレヨンを丸めたいびつ。
 
 
格別であれたらな、という諦観や絶望は常に隣に在る。
切り離されることは、ないのだと思う。
数々の幸福であることとか、感謝だとか、すきやきらいがある限り。
そして、それを捨てる潔さもがむしゃらも変質も持ち合わせていない。
画一は放棄できない性質で、抱え込んだまま這い上がろうとしている。いつも。



突き詰めること。高く登ること。掘り下げること。飾り立てること。積み上げること。

そうしたことで いちばんはじめにある、ただの、白い、変哲ない存在を覆う。
それが特別のなりかただろう。

俗、とも呼ばれる、どうしようもない平素さは、なければひとでなく、いやでも側にあるもの。


どうも、世界に最高にいかれたスペシャルなひとがいると、思えないのです。
そんな世界で、私なんかが異様であるはずも。
 
その 辿り着けない憧憬が推進力で膂力で、私の歯を食いしばらせるもの。